「質を落とす」という考え

今、人生に必要な持ち物リストというものを、かれこれ4年近くかけて作っています。

この持ち物リストを作りにあたって条件をつくりました。

・モノがないことによって不便になってはいけない
・地球上のどこに住んでいても対応できなくてはならない
・全ての持ち物はバックパックひとつに収まらなくてはならない

 

まあご想像の通りなかなか難しくて日々試行錯誤しながらあと少しで完成できそうなところまで来ています。

そしてなりより難しい②の条件

 

これを考えるために

 

Manila_Philippines

フィリピンに移住しました。

 

もちろん発展途上国で、東南アジアではわりと貧しくて治安も悪いです。
なのでこの国で何不自由なくくらすことができれば、世界どこでも通用すると言ってもいいのではないかと思います。(寒冷地は検証済み)

 

IMG_0695


 

質を落とすということ

昔から寒い土地ほど国や文化は発展していき、暑い土地ではあまり発展しないと言われています。寒い土地だとそもそも生きていくのに知識がいりますし、家の中にいる時間が増えるので勤勉になる。逆に暑い国はパンツ一丁で外にでれるので、サボりやすいと。

なので暑い国で僕のようなミニマリストが生活するとどうなるのか、それは質を追求できないということになります。

僕は自分の家では最小限のものしか持っていなかったけど、それらは完璧なもので部屋もいつも綺麗にしていました。そして家を綺麗に保ち、最小限に暮らすことはどんな国でもできると思っていました。

しかし、違いました。おそらくあまりに貧しすぎるとその最低限のラインを割ってしまうんです。トイレは流れないし、家はボロボロ虫だらけ、モノ買おうとして何もない、Amazonも届かない。
そうなると悲惨なことにになってしまいます。そしてこのことから非常に興味深いことが発見出来ました。先進国の人々はモノに依存しすぎてオーバーラインをしているけれど、一部の貧しい発展途上国では最低限のラインに到達できていない。

つまり核となる幸福を誰も確立できていないということになります。

happiness 2

 

貧困国で生きていくには全ての質を落とすしか選択肢がないということになります。

 

選択的ミニマリズムと強制的ミニマリズム

僕たちのようにある程度の選択肢がある中で自由にミニマリズムを選ぶことができることを仮に選択的ミニマリズムと呼ぶとすると、フィリピンの生活は強制的ミニマリズムとなります。

おそらくこの違いが大きな幸福の違いにつながるのではないかと思いました。人間は本来ほんの少しのモノで最高の生活ができるものですが、そのほんの少しが莫大に拡大しすぎて今の社会になっているのかもしれません。しかしこれは逆に捉えるとほんの少しのモノがどれほど重要なのかということも教えてくれました。そのほんの少しがあるだけど人間は一生豊かに暮らせるわけですから

 

ではなぜ人間に本当に必要なものは揃っていないのに、必要のないものばかりそろっているのか

これは確実にお金の問題だと思っています。
もし全世界の人々に生きるのに必要な少しのモノを全部与えてしまったらお金が必要なくなって世界経済が破綻してしまいますから。だからわざわざ壊れやすいファストなんちゃらとか必要のない付属品を作りまくって経済をごまかして動かしているわけです。(これに関しては「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理という本に詳しく書いてあります。)

じゃあ僕らミニマリストはどうするべきか。
ミニマリズムは貧乏とはまったく違う考え方です。僕のアメリカ人の友達はミニマリストだけど年収4億円位。その人は別にケチなわけでもない。でもミニマリスト。なぜかってその人はモノやカネで幸せは買えないってわかっているから。それを知ってるから億万長者になれたって自分でも言ってた。

つまり何が言いたいかというと、もはや誰もやってなさすぎて本当に必要なモノの需要が増えてきている、そして簡単に買えるということ。なのでしっかり調べて本質のモノやサービスにお金を使うことこそがミニマリストのやるべきことなのだと思います。

 

 

みなさんはどう思いますか?

 

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