僕がミニマリストとして最後に捨てるもの

伊藤光太

僕がはじめてミニマリストという言葉に出会ったとき、これほど僕に則している表現は他にないと思ったのを、今でもはっきりと覚えています。うまく言語化できなかった僕の思いを伝えることができる素晴らしいメタフォリカルだと感じました。ミニマリスト・ミニマリズム、これらの言葉を聞いただけで包括されている様々な物事の本質的概念を感じ取れるような気分になりました。そしてそれに関して僕は様々な記事を書きましたし、メディアにも掲載されました。

しかしここ最近そのミニマリストという言葉に自分自身が縛られているという現実に気づき始めました。その制約は僕自身が自分に適した“レイベル”のようなものが欲しかったという欲望から創りだされたものであり、その結果様々な認知的不協和が発生してしまいました。そしてその大地震後の地盤のズレのような溝を補修するために、伊藤光太というパーソナリティをミニマリストというシステムに矯正的に近づけていたように思います。

これらの散らばった事実と理論は僕の中で、また僕の周囲で様々な矛盾を発生させました。それは非常に痛みに満ちたものだったし苦痛以外の何ものでもありませんでした。精神がずきずきと痛み創造性を疲弊させました。

僕は整理整頓は苦手なタイプだし非常に無頓着な性格だし、表現するのも下手な人間です。強烈な完全菜食主義を主張しているのに肉や魚を摂取してしまいます。ミニマリストと主張しているのに机や部屋が散らかってしまいます。

なので僕は…僕はミニマリストと名乗ることを捨てることにしました。

またベジタリアンに関しても名乗ることをやめることにしました。これら全ての事項は僕にとって目的ではなく手段に過ぎません。ディスクリプションであり、コンテンツではありません。

そして、物が少ないということが僕にとっては当たり前のことになってしまいました。ここ二年ほどは日本に特に自宅があるわけでもなく、バックパックひとつ分の荷物で ―厳密には多少の誤差もあるが基本的には― 生きていくことができたので、ミニマリストは僕にとって乗り終わった高速鉄道の切符でしかありません。

今残されているものとして最後に僕は「ミニマリスト」を捨てます。特にだからと言ってモノを増やしたり買ったりする予定もさらさらないわけだし、考えを180度変えるつもりもないので表面上は何も変わりません。

これからはただ「伊藤光太」として生きていきたいと思います。

これにあたり、サイトの名前も変更しました。
「Exit Blog」というタイトルを選びました。これには様々な意味が込められていますが、あまりに個人的かつ抽象的な思いのため、説明することはできません。

みなさんはミニマリズムの先に何を求めますか。ミニマリストとしてどんな人間になりますか。

11 thoughts on “僕がミニマリストとして最後に捨てるもの

  • 「ミニマリスト」という高速切符でフレームを作ると、その形に合わせて急速に成長できますし、とても役立ちますよね。
    けれど、光太さんにはもう、シンプルに「伊藤光太」として生きていくのがいいのだと思います。
    人によっては、「ミニマリスト」「ベジタリアン」などのフレームによって自由になる人もいるので、その人たちのために、
    今までの記事が役立つでしょう。
    最後に捨てたものも、誰かにとって役立つのがブログなんですね。
    私はミニマリズムの先に大きな器を持つ自分を望みます。

  • ミニマリストという言葉が普及すると、ミニマリストと積極的に名乗る人が減ってきましたね。

  • 「…ミニマリストという言葉に自分自身が縛られているという現実に気づき始めました。」
    大変良い「気づき」だったと思います。
    『ミニマリスト』で『ベジタリアン』なボクを見て…っていう姿は、ブランドで固めた物欲まみれの姿と実は同じだと言うことですね。ミニマリスト師匠として良質で高価な商品を紹介するのもなんだかね…。
    こだわりは即ち依存。気がついたらミニマリストという看板と共依存の関係になってしまったのかもしれませんね。
    何物にも依存しない(こだわらない)自由な心を持っていたいと、私も常日頃から思っています。

  • ミニマリストの生活感が好きで、私も物を捨て、少しでも近づこうとしていましたが、何でミニマリストに拘る必要があるんだろうと、考える様になりました。
    ただ、自分が自由に暮らしたいだけで、「ミニマリスト」になるとかならないとか、関係ないのに。
    怖いのは、無意識に拘っている事だと思いました。

  • まったくもって色即是空ということですね。
    生き方に迷っていた過去の自分の「ミニマリスト時代」を、懐かしく振り返るときが来るでしょう。
    それにしてもまだ、依存するに値する、より上のモデルを渇望しているようにみえて心配です。
    余計なものと必要なものに峻別しようという考え方は、生真面目で体面を気にする白黒はっきりタイプの人に多いようです。
    突き詰め過ぎると自分自身の『価値』に目が向いてしまう…。
    人生のexitなどと、決して達観されぬように。

    • ミニマリストという言葉が普及すると、ミニマリストと積極的に名乗る人が減ってきたというコメント、私も似たように感じがしてます。

      個人的な感覚ですがミニマリスト的なひとの多くは自分でミニマリストと名乗りたくないと思っている人が多い気がします。

      ミニマリストと名乗りたがらないミニマリスト的な人、これはある意味新たな流行の始まりな気がします。

      私は個人的には、ミニマリストという言葉は、少なく持つ生き方をなんとなく説明する時に便利だと思いますが。

  • こんにちは。
    「ミニマリストとして最後にすてるもの」って、素敵な言葉ですね。

    ここのところの記事の感じからなんとなく、その事を悩まれているのかなぁ、もしかしてブログも辞めてしまわれるのかなと思っていたので、、

    ブログが継続されるのはとても嬉しいです。

  • ミニマリズムの先に何を求めますか。

    いのちを感じるスペース

    ミニマリストとしてどんな人間になりますか。

    “立派でありたいとか
    正しくありたいとかいう
    無理な緊張には色目を使わず
    ゆったりゆたかに
    ひかりをあびている”

    そんな人になりたい

  • ミニマリズムの先に何を求めますか?
    ミニマリストとしてどんな人間になりますか?

    わたしの中では、どちらも同じ答えです。
    主体性を確立して、全体の幸せを考えられる社会を構築していくために、ムダな物を捨てて最小限にしました。

    わたしはミニマリストと名乗ることには特に抵抗は感じません。
    ミニマリストと名乗っても、違う呼び名でも、常に何者にも縛られていないと思うからです。

    でも伊藤さんの場合は有名になりすぎて、大変なことも多いのだと思います。
    伊藤さんが自由に幸せに生きられるのなら、ミニマリストと名乗らないのはいいことだと思います。
    これからもブログ楽しみにしています。

  • 本はいつになりますか

    お知らせが変わるたびに今か今かと待っています
    もう何年経ったでしょうか

    • コメントありがとうございます。

      現在進行形で奮闘して書いてます。いろんな人から同じこと言われるのですが、
      世界を変えるような本は数年ではなかなか書き切らず、2023年になりました。
      今年でなければ、僕はもう終わったと思っていただいて大丈夫です。

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